Monday, November 06, 2006

不便さを楽しむとか、制限とか

少し気になる話を聞いた。

世間には不便さを楽しむとか、色々と制限をつけて楽しむなんて方法があるらしい。
それで楽しむなり人生を謳歌できていればいいのだが。
真にそう思う。

多くの人々が、私のような純戦士と言う生き方を「制限された生き方」であると感じているらしい。
これについて反論したい。
例えば空飛ぶ鳥達が、空の飛び方を忘れてしまったのであれば…そこには底知れぬ悲しみと「制限された」と言う心が生み出す「辛さ」があるだろう。しかし我々人間は基本的に地面を歩く生き物である。
空が飛べない事を「悲しむべき、そして辛い事」だと考えるだろうか?

それと同じで、私は生まれてこの方「純戦士以外の生き方」をしていない。
それ以外の自分と言うのを知らないのだ。だから故に人々が「騎士道魔法使えないと辛いでしょう?」とか「魔法が無いと厳しくない?」等と言ってきても、あまりピンと来ない。
不便さが好きなわけじゃない。勿論私だって不便なのは嫌だ。
しかし私は今の私以上に「便利であった事」等無いわけで。
失ってもいないものを「無くて不便だ」とは思わないわけで。

私は不便さを楽しんでいるのではない。
極楽さとか、(諸君が既に知っている)快適さを知らないだけなのである。知れば私も今のこの状態を不便だと思うのであろうが、それが楽しみを見出さない気がするので、積極的にそれを追い求めたりはしない。

諸兄も気をつけるといい。
どこかで無理をして「できることをしない」と決めて掛かると、大変な苦労を強いられる。
不便さなどを楽しめる人間は少ない。便利さを知らないままで生きていく事は容易なのだが。

2 comments:

Anonymous said...

 これ、現実の普段でも悩むとこでもあります。
 先を知ってるから制限するのか、知らずに制限してたのかで、意味合いは違ってきますし。

 快楽を知ってしまっても、別の楽しみが生まれれば、また意味は変わってくるし。

 それらの何が良くて何が悪いかなんて、モラルと法にしか裁けないですし。
 大事なのは本人がどう思ってるか。でしょうねぇ。
(RP風レスでなくてスマンス)

Wildcat said...

まぁ、素に戻っちゃうけど。

私だって騎士キャラや武士盾騎士キャラも持っている。持ってるけど純戦士での戦闘が楽しいから純戦士での活動が多かったり、純戦士そのものの人数が多かったりするわけでして。
(Vessel3種、ゴヤスレイx1 その他他シャードの育成放棄気味キャラx2)

不便は不便だが、それを上回る楽しみがあるのもまた事実。難しいもんだね。